「グレイシー一族は血筋に沿って分裂を続けていった。ホリオンが私たちの柔術をアメリカに根づかせようとしているあいだに、カーロス・グレイシー・ジュニアはブラジルで別の方向をめざし、のちにスポーツ柔術と呼ばれることになる競技柔術の推進に注力していた」

「カーロス・グレイシー・ジュニアは頭がよく創造性にあるれていたが、彼と私は裏でしょっちゅう言い争っていた。グレイシー一族はもう名前を確立したのだから、あとはその評価を維持すればいい。それが彼の考えだった。いつも先頭に立ちたがったが、私がしていたような重労働には手を出さなかった」

「一族の王者の称号は受け継ぐものではない。血と汗と涙で勝ち取るものなのだ。スポーツ柔術を生み出したカーロス・グレイシー・ジュニアの功績は大きいが、そこには問題もあった」

「スポーツ柔術は私たちの武術を変容させ、グレイシー柔術の看板を背負ってリングに上がろうとしない張り子の虎を数多く生み出した。父がスポーツ版を好まなかったのは、武術としての柔術が骨抜きにされると考えたからだ。よくこう言っていた」

「『これは私の柔術ではない。競技用の柔術は武術じゃないからな。私が編み出した柔術は、路上で打ちのめされることなく身を守るための格闘技だ』」
byヒクソン・グレイシー