「一九一七年、祖父ガスタオン・グレイシーは十五歳の息子カーロスを連れて、ベレンの〈テアトロ・ダ・パス〉で行われた試合を観戦した」
「伯父カーロスはブロンドの髪と明るい青色の目の持ち主で、″小さな異国人”と呼ばれていた。私の家族の話によれば、カーロスは異常に活発でしょっちゅうトラブルを起こしていた」
「身長一六三センチ、体重六六キロの日本人が自分よりはるかに大きな相手を手玉に取り、圧倒してのけたのを見て、彼はひとつの啓示を受けたーーーテクニックと戦略と知性を駆使するファイターは、体格と力しかないファイターに勝るのだと」
「前田は妻と娘とともにベレンに移り住んだ。ガスタオンは地域の指導者たちに前田を紹介し、日本から来た移民が熱帯雨林に農場を開けるよう土地の入手に尽力していた彼の力になった」
「前田はベレンに武術学校を開いてひとりの助手とともに、みずから改良した柔術を私の伯父たち(カーロス、オズヴァウド、ガスタオン・ジュニア、ジョルジ)教えた」
byヒクソン・グレイシー