「日本の真珠湾攻撃五十三周年に当たる一九九四年十二月七日の朝、ピコ・アカデミーの師範代ルイス・エレディアから電話が来た。カメラを持った日本の記者十数人とプロレス団体のスタッフのひとり、そしてプロレスラーひとりが道場へ来て、ヒクソンに会いわせろと要求しているという」
「私はバンテージを巻き、車でパシフィック・コースト・ハイウェイを走った。本人がわかっているかどうかはともかく、これで安生は深刻な事態に陥った。ファイトマネーのために戦うときなら、相手かレフェリーがやめてくれと言えば殴るのをやめる」
「しかし名誉のために戦う場合、殴るのをやめるのは、私がやめようと思ったときだけだ。安生は技の道場に乱入し、生徒の前で私を軽んじた。見せしめにする必要があった。ピコ・アカデミーの車寄せに停車すると、カメラを構えた日本の記者たちが道場の前に群がっていた」
「中に入ると、高級な服に身を包んだ女性と派手なスーツを着た日本人男性がいた。ふたりに丁重にあいさつし、用件を尋ねた。スーツの男は元プロレスラーの笹崎伸司。このときは髙田のプロレス団体のスタッフだった。彼はさっと作り笑いを浮かべ、UWFインターナショナルへの参戦を要請しにきたという」
「『せっかくだが筋書きのある試合はしないし、プロレス団体で試合をする気はない』と答えた。すると笹崎は真顔で私を見て、『名誉のためならギャラなしでも戦うと公言しているようだが』と言った。ここへ来たのは戦うためか、それとも交渉のためかと問うと、『うちのファイターが外にいる。呼び入れてもいいか?』と言う」
「エレディアと生徒たちに、ファイターは入れてもいいが記者は入れるなと指示をした。安生が道場に入ってきて、醜悪な表情をこちらに向けた。ドア口では中に入ろうとする記者たちと小競り合いがあったが、生徒たちには太刀打ちできず、みな外へ押し出されドアが閉められた」
byヒクソン・グレイシー