「髙田との再戦を期待していたわけではなかったが、プロモーターは彼にリベンジの機会をあたえたかったし、彼のファンも同じ気持ちだった。最初の試合で十六万ドルを手にしたが、次の試合は百二十万ドルだという。当時は誰も手にすることのない高額だったし、私は同意した」
「九七年を迎えるころから、わが家の生活費は高騰していた。ここ数年で生活様式が劇的に変化したせいだ。日本で戦ったおかげで、トーランスからもっと裕福な海辺の郊外、パシフィック・パリセーズに引っ越すこともできた。海を眺められて、すぐにサーフィンができる、プール付きの美しい家を買った」
「また、パシフィック・パリセーズに最新施設を備えた道場も開いた。子どもたちは私立学校に通い、キムと自分の新しい車も買った。これら諸経費に莫大なお金がかかった。ブラジルに比べ、アメリカの暮らしははるかに割高で複雑なこともわかってきた」
「車は登録して保険に加入し、違反切符は期限内に支払わなければならない。子どもが学校で悪さをすれば、校長から面談に呼び出される子どもたちが成長するにつれ、トレーニングと試合に集中することが難しくなってきた。髙田との再戦の三ヶ月半前、私は腰を痛めた」
「キャンセルも考えたが、ブラジルへ行って信頼する知り合いの理学療法士に診てもらった。一ヶ月間、ストレッチ、アイシング、プールでの運動、深部組織マッサージなど、想像可能なかぎりの理学療法を受けた。おかげでリオを離れるころには大きく改善していた。体調が一〇〇パーセントでなくても戦おう」
byヒクソン・グレイシー