「瞬く間に子どもたちは大きくなった。みな私と柔術の稽古に励んでいたが、それぞれに情熱を注ぐ対象を見つけてもいた。一九九九年、次男のクロンは十一歳になっていた。柔術の才能はあったが、柔術以上にスケートボードに関心があった」
「十三歳のカウリンは生まれ持った運動能力で、学校でもチームスポーツでも先頭に立ってみんなを引っ張っていた。十五歳のカウアンは相変わらずダンスと音楽に夢中だった。娘たちは柔術の稽古自体は好きだったが、競技には関心がなかった」
「だから無理強いはしなかった。興味の対象がほかにあるのなら、進みたい方向を尊重してそれを応援しよう。娘たちの人生に寄り添う、つねに努力した。マットの内外で愛情を注ぎ支援と助言をあたえたが、正直、息子たち以上に娘たちへの接し方は難しかった」
「成し遂げてきたことを尊重し、可能なかぎり最高の先生と学校を見つけることで支援したが、ふたりは私とはまったく別の道を歩んでいた。通うのはロサンゼルス最高の私立高校。化学も現代美術もバレエも、私はまったくの門外漢だ。同級生はアメリカ最高峰の権力者の子どもたち。カウアンがピアノの編曲を手伝ってほしいと思っても、息子たちを手伝うようなわけにはいかない」
「ホクソンとクロンが柔術大会に備えるときとは訳がちがう。女性は台所や子ども部屋にいればいい、という父の考えを、私は断固拒否した。娘たちは強い人間になって、自分で選んだ方向へ進んでほしかったし、実際ふたりは着実に自分の道を歩んでいた」
byヒクソン・グレイシー