「ここに至って、日本のプロモーターは弟ホイラーを倒した桜庭和志と私の対戦を熱望したが、目が完治するまで次の試合は約束できないので二〇〇〇年の秋、私はブラジルへ向かった。この年、ホクソンは稽古中に膝を痛めていた」
「なかなか治らず、チャンピオンの夢が手からこぼれ落ちていく心地だったのだろう。私がリオにいるあいだに、ホクソンがロサンゼルスのストリートギャングの一員になるという噂が流れた」
「彼はギャングに魅せられ、ギャングと関わることで私が導いてきた道とはまったく無縁の細道へ足を踏み入れてしまった。ロサンゼルスに戻ると、ホクソンはブラジル人の恋人とニューヨークへ発つ準備をしていた」
「心配だったのは、敵陣に乗り込むことになるからだ。九〇年代を通じて、東海岸と西海岸のヒップホップ界は戦争状態にあり、若者文化に敏感なホクソンも東海岸のあらゆるものを憎んでいた」
「服装、音楽、文化はもちろん、ピザまでも。なのに、なぜいま東海岸へ行くのか?この年、息子をよく知る友人から、このままいけばまずいことになると警告も受けていた。その言葉が頭に甦った」
byヒクソン・グレイシー