トラスト柔術アカデミー鹿児島・出水鶴柔術♪
「二〇〇九年、父が九十五歳で永眠したとき、私とクロンはヨーロッパ柔術選手権に来ていた。訃報が届いたのは大会当日で、葬儀のためにブラジルへ戻るわけにはいかない。その代わり、ホテルの部屋へ戻って自分たちで追悼式を執り行った。ふたりで涙を流し、思い出を分かち合った」
「エリオが亡くなった日、クロンは祖父に代わってマット上で戦った。エリオもそれを望んでいただろう。二試合ともサブミッションで勝利し、ヨーロッパタイトルを獲得したあと、彼はいつものようにホクソンの写真にキスし、大会主催者がエリオの生涯を偲んで設置した。彼の巨大壁画に一礼した。私たちふたりにとってすばらしく美しい瞬間だった」
「エリオ・グレイシーとカーロス・グレイシーの遺産はいまや三世代に引き継がれ、維持されようとしていた。父が亡くなるまでに、私はUFCにまつわる確執をすべて忘れて父と和解した。尊敬と愛情を分かち合い、父と息子に戻っていた。年老いて日常の記憶が薄れてきても、自分の戦いの記憶、暴れ馬を乗りこなした記憶、獰猛な犬と心を通わせた記憶はなお鮮明だった」
「父は私を見るとき、いつも目をキラキラさせていた。ファイターとして、王者として、そして何よりグレイシー一族の代表としての私を、父は誇りに思っていた。私が引退したあとも、父はまだ私をチャンピオンだと思っていた。『調子はどうだ?調整はうまくいっているか?』彼はよく訊いてきた。『お前をやっつけられる人間なんて、どこにもいるものか』」
byヒクソン・グレイシー