「今の私は前より幸せだ。心の中に息子を抱き、毎日彼のために祈りを捧げているが、それは悲しみのせいではない。確かに、ふとある瞬間に思い出すと、懐かしさのあまり、またあの悲しみがよみがえり、心が張り裂けそうになる」
「それでも今の私はいつまでも悲しみをひきずったりしない。息子と一緒に過ごした素晴らしい時間、ともに生きた楽しい人生を思い出すと、大きな幸せをずっと味わっていたのだと感じられる。この経験がなければ、まだ時間を無駄にし、明日を待っていただろう」
「今のでもそうだったはずだ。だから私は感謝する。結局のところ、苦しみを理解し、受け入れて、どん底から抜け出すための理由をどのように見つけるかということは、人から教わるものではない。自分で感じ、一人で乗り越えなくてはいけないことだ」
「もちろん、子供を失ってまで実感するべきだと言うつもりはない。しかし、誰かを失ったり、何か大切なものを失ったりしたとき、通らなくてはならない道で、そのときには、考え方を変えなくてはいけない。『さて、次はどうしようか?』と立ち止まって考える」
「前にも述べたが、全財産を失ったからといって、残りの人生が不幸になるわけではない。どこかの海辺に自分で小さな小屋を建て、愛する人と二人で魚を釣って、最高に幸せに暮らすことだってできる。どんなに悲しい話でも、私が『気の毒に。そんなひどい話は聞いたことがない。解決する方法は絶対にない』と言うほどのものはないだろう」
「『分かった、散々な目にあったな。そうか、死にたいのか。でも生きることを選べば、もう一度幸せを探しに行ける。幸せはまだそこにある』。そう言うだろう」
byヒクソン・グレイシー