「私が十六歳で父から紫帯を授かったころには、すでに、相手の欠点を見抜いてそこにつけ込むことに長けていた。厳しい試合を何度も経験したが、かならず勝利し、自分の力を実感できるようになっていた。ある日、ノーギ〔道着を着用しないグラップリング〕の練習のため、柔術の生徒でもあった友人に連れられて、ボケイラン〔リオの南、海沿いの街〕にあるルタ・リーブリの道場へ行った」
「ルタ・リーブリはグレコローマンスタイルのレスリングに腕と足への関節技ん取り入れた、ブラジル発祥の格闘技だ。そこには選手が二十人ほどいたが、彼らのことをまったく知らなかった。友人は先生に『友達を連れてきました、スパーリングをさせてあげてください。柔術の経験者です』とだけ伝えた。先生は『いいよ』と言い、部屋でいちばん大きな男をさして、『彼とやりなさい』と言った」
「私が大男にあっさり勝つと、先生は『では、次は彼と』と言い、別の大男を指さす。そして一時間も経たず、先生以外の全員をタップさせた。最後に先生とも組み合い、彼を降参させたときはちょっと気まずい雰囲気になったが、そこで友人が『先生、何も恥じることはありません。あれはエリオ・グレイシーの息子ヒクソンです』と言ってくれた」
「『そういうことか』と先生は納得したようすだった。『きみのお父さんをとても尊敬している。いつでも来なさい』グラップリングも柔術の大会も好きだが、このときすでに私はバーリトゥードへの出場を考えていた。今日では護身術や実戦を知らなくても柔術の黒帯を取得することはできる。しかし、一九七〇年代と八〇年代には、それは不可能だった」
「父と伯父は自分たちのスタイルを“世界でもっとも効果的な護身法〟と声を大にして公言していたから、若きグレイシーにはみな、いずれ一族を代表してルール無用のリングや路上で戦うのだという覚悟があった。そうして私が戦った最初のバーリトゥードは、性的な初体験にも似て強烈な通過儀礼となった」
byヒクソン・グレイシー