「アメリカのカリフォルニア州でグレイシー柔術の普及に取り組んでいるホリオンを手伝ってほしい、ホリオンがアメリカで柔術を広めるには最強のグレイシーが必要なのだ、と言う。話はわかったが、家族を置いていきたくはなかった」
「キムが第四子を妊娠し、家庭の状況はいっそう厳しくなっていた。今回の妊娠は大変だった。キムは妊娠中、ほとんど寝たきりを余儀なくされた。さもないとお腹の子を失う危険性があったからだ。ある日キムは怒りを爆発させた」
「夫である私と現下の状況への憤りが沸騰したのだ。その場の勢いで暴言を吐いた彼女に、私は言った。『ここに私といて幸せでないなら、私は友達の家に厄介になる。子どもたちに会いにくるし、きみのことも全面的に支援する』そうして自由を取り戻した格好にはなったが、子どもがいる以上、前と同じようにはいかない」
「第四子の次男クロンが生まれたとき〔八八年〕も、キムとはまだ別居していた。クロンはホクソンとちがっておだやかな赤ん坊だった。いつも笑っていて愛嬌があった。私たちはポルトガル語で″いい子〟を意味する″ボジーニョ〟と呼んでいた」
「彼は姉たちの愛情を一身に受けていたが、キムは、私とクロンの関係をホクソンとの関係のようにしてはならないと断固主張した。ホクソンは七歳にして私の右腕になり、どこへ行くときもついてきた。すでにグレイシーとして、格闘家としての自覚が備わっていた」
byヒクソン・グレイシー