「兄のために働くことにどんどん嫌気が差してきた私は、思いきって自分の道場を開くことにした。ブラジルで貯めた資金をキムが持ってきてくれたので、それを元手に独立を果たした。兄の支配を逃れた私は、兄の最大の敵となった」
「私には兄にないイメージと能力と指導力があり、兄にとっては困ったことに、みんながそれを知っていた。〈ウエストロサンゼルス空手スクール〉が、ロサンゼルス工業地帯のピコ通りに構えていた道場を貸してくれることになった」
「伝統的な日本の空手道場で、一段高くなった木の床、巻藁と呼ばれる打撃練習用の柱、壁には年老いた有名空手家の油絵などがあった。夏は暑く、冬は寒い。私の道場には看板も駐車場も窓もシャワーもなく、ほとんど人目にすらつかなかった」
「それでも私は一族の王で、当時カリフォルニアはグレイシー柔術の話題で持ちきりだったため、いろんなところから危険な男たちがやってきたし、彼らが裏通りの自動車工場の隣にあるみずぼらしい道場を見つけるのに、さほどの時間はかからなかった」
「第一世代の生徒の大半は、プロの格闘家の卵や別の格闘技をやってきた者、サーファーあるいは兵士や警官、刑務所の看守、用心棒といった、日常的に肉体を酷使する危険な職業に就いている男たちだった」
「柔術を学びたい者もいれば腕試しをしたい者もいたが、最終的にはほとんどがグレイシー柔術の熱心な生徒になった」
byヒクソン・グレイシー