「アメリカへ来た当初、キムと私は生活のためしゃかりきになって働いた。マット上ではいつもどおりだが、マット外の暮らしは大変だった。アメリカとブラジルには大きなちがいがあったからだ。アメリカもブラジルもかつては植民地だったが、ヨーロッパ人がブラジルへ来たのは、金やエメラルドを船に満載し、褐色の美女と肌を交えるのが目的だった」
「対照的に、アメリカは理想主義的憲法を掲げたこともあって、秩序ある社会へと成長した。アメリカ人はそれまで私が見たことない行動を取っていた。列に並び、信号待ちをし、たいてい法律を守っている。社会が機能するために当然必要なことと思われるかもしれないが、私にとっては不思議な新しい世界だった。アメリカ社会には、かならずしも順調になじめたわけではない」
「アメリカの暮らしがブラジルとどんなにちがうか気がついたのは、一台目の車を買って運転をはじめたときだ。最初はリオと同じように走っていた。赤信号を無視し、ふたり以上乗ってないと走れないカープール車線をひとりで走り、どこでもしたいときにUターンしていた。渋滞にぶつかると路肩へ移動し、そのまま進んでいった」
「羊のように従順な人間ではないし、要領よく人を出し抜くのが当たり前だと思っていたのだが、すぐにアメリカではそうではないことを知った。ある日、友人数名と車でサーフィンに出かけ、サーフボード積載用のラックがなかったのでボード四枚を屋根にひもで固定した。高速道路に乗ったときは風が強く、雨も降っていた。とつぜん変な音がした」
「ボードが屋根から飛ばされ、後ろの車のフロントガラスに激突したのだ。車を止めてボードを拾おうとした。ボードを当てられた運転手は怒り心頭に発して、車を止め、歩いて私たちのところへやってきた。彼はカリフォルニア州のハイウェイ・パトロール警官で、この日は非番だった。『運転していたのは誰だ?』と訊くので、自分だと答えて書類を渡した」
「車の受けた被害は私の保険で補償される旨を伝え、おおむね相手を落ち着かせることができた。そこへ、同乗していたブラジル人の友人で当時学生だったコヨーテという男が歩み寄った。ドレッドヘアで全身タトゥーを入れている。警官の肩に手を置いて、『よくあることさ、お巡りさん、どうってことない』と言った。警官は『手を離せ!』と怒鳴ってパッと飛びのいた」
「逮捕も銃撃もされずにこの場は収まったが、その後、私は次々と切符を切られ、たちまち運転免許を失った。この一件で何を学んだか。リオのやり方ではロサンゼルスでの問題を″解決〟できないということだ。ブラジルには問題を解決する独自の方法がいろいろある。しかし、アメリカではたいてい、法律に基づいて責任を取らねばならない。ほとんどの人が規則に従うのは、法律そのものが厳格で回避する余地が少ないからだ」
「十八歳のときに自転車を盗んで逮捕されたら、たった一度の愚かな判断で一生を棒に振りかねない。ブラジルでは二十一歳までにしたことはだいたい忘れてもらえる。法律に頼れないブラジル人はその場に応じた対処法を学び、しかるべきときにしかるべきカードを使う。ブラジルのトランプにはジョーカーやワイルドカードが多いのだ」
byヒクソン・グレイシー