トラスト柔術アカデミー鹿児島・持永木材グレイシー柔術クラス♪
「一九九三年の初め、バーリトゥードをアメリカに持ち込んで柔術を広めたいというホリオンの夢は、実現を目前にしていた。自分の弟子でハリウッド映画監督のジョン・ミリアスに会ってほしいと、兄から要請があった。アメリカ初のバーリトゥード大会〈アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ/UFC〉の後援者を確保できたのだ」
「ついにアメリカで試合をして名を上げるチャンスが来た、と私は思った。アメリカに移住したのはこのチャンスをつかむためで、それが現実になる。第一回大会には弟のホイスを出場させ、万一のための切り札に私を取っておきたいとホリオンが言ったときは、がっかりした。一見、賢明な判断に見えて、じつはこれには別の理由があった」
「第一回UFCの開催時ホリオンと私は不仲だったため、私がスターになって自分の影が薄くなるリスクを回避したかったのだ。ホイスはバーリトゥードはもちろん柔術競技でもまだタイトルを取ったことがない、のんびりした子だった。兄にとってはいちばんあつかいやすいグレイシーで、一時期ホリオンとホイスの間には伯父カーロスと父エリオのそれに似た、父子的な関係があった」
「それでも私はホイスを気に入っていたから頑張ってほしかった。彼が優勝した場合の賞金五万ドルから小さな一部を報酬に、私は彼の初陣用トレーナーを務めることに同意した。その夏、ホイスはピコ・アカデミーへ通ってきた。私にはまったく歯が立たず、私は限界の先まで彼を追い込んだ。これでよしと判断したところで頬にキスし、頭を撫でて、その日の練習をおしまいにした」
「大会が近づくころには確信があった。パンチをかわしてグラウンドに持ち込むというグレイシーのゲームプランを忠実に守れば、ホイスは勝てる。試合前の一週間は心の準備に充てた。彼にはこう言って聞かせた。勝つも、負けるも、死ぬもよし。一族の代表としてアメリカのマットに立てることを幸せに思え」
byヒクソン・グレイシー
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