トラスト柔術アカデミー鹿児島・出水鶴柔術♪
「日本のプロモーターから彼らの主催するトーナメント大会への出場を打診されたが、提示されたファイトマネーはわずか三千ドルで、軽視されていると思い、断った。その後、妻のキムが交渉に加わり、彼女はこう伝えた」
「私の参戦を求めるならバーリトゥードのルールが必要で、お金ももっと必要だ。最終的にキムの粘り強い交渉は報われ、五万ドルのファイトマネーに加え、優勝した場合さらに五万ドルを支払うことにプロモーターが同意した。当時としては大金だ」
「優勝すれば倍額になる。キムがマネジメントを引き受けてくれたおかげで、日本初のバーリトゥード大会〔バーリトゥードジャパン・オープン1994〕に向けたトレーニングに集中することができた。日本で戦うつもりでいると打ち明けたときホリオンは大反対し、やるべきではないと父に訴えた」
「キムはおおよそ父とうまくやっていたが、それは父がうちの子たちを可愛がっていて母親としての彼女に敬意を示していたからだ。しかし、こと話がビジネスや私のマネジメントになると、父は彼女を敵視した。父にとって私はホリオンに従うべき人間だったからだ」
「キムはホリオンを信頼しておらず、みずから私のマネジメントを買って出ることで、私を兄の支配から抜け出させてくれた。六〇年代に自分の道場を開いたカーウソンに憤ったときと同じく、父は私たちの独立と成功にも憤った。もし私たちが成功するなら、それは自分の庇護の下でなければならない、という考えだ」
byヒクソン・グレイシー