
「スポーツ柔術を生み出したカーロス・グレイシー・ジュニアの功績は大きいが、そこには問題もあった。スポーツ柔術は私たちの武術を変容させ、グレイシー柔術の看板を背負ってリングに上がろうとしない張り子の虎を多く生み出した」
「父がスポーツ版を好まなかったのは、武術としての柔術が骨抜きにされると考えたからだ。よくこう言っていた。『これは私の柔術ではない。競技用の柔術は武術じゃないからな。私が編み出した柔術は、路上で打ちのめさることなく身を守るための格闘技だ』」
「状況の変化が明らかになったのは、私にとって最後の大きな柔術の試合となった一九八六年のリオの大会だった。カーロス・ジュニアが私の親類でもあるヒーガン・マチャドとジャン・ジャック・マチャドの兄弟を自分の生徒として登録しているのを見て、私はびっくりした」
「マチャド兄弟の母親と伯父カーロスの三番目の妻は姉妹で、カーロス・ジュニアたち兄弟とマチャド兄弟はいとこどうしだ。私はマチャド兄弟としばらく練習していたかったが、彼らは私の生徒でもあった」
「ヒーガンは大きな体とスキルを兼ね備えた黒帯で、毎年すべての帯色でブラジルの国内王者に輝いていた。私と同じようにヒーガンも十四歳から大会で負けたことがなかった」
byヒクソン・グレイシー
