「ホーウスは世界レベルで戦えるレスリングを統括する団体関係者の不興を買った。新参者が自分たちの縄張りを侵そうとしている、と彼らは思ったのだ、一九七八年、世界のレスリングを統括するFILAがアメリカ人レスラーのボブ・アンダーソンをリオに送り込んで、ブラジル人レスラーたちを指導させようとした」
「アンダーソンは南カリフォルニア出身で、レスリングではグレコローマンとフリースタイルの両方で王者になり、サンボでも王者になった。大きな体格に超絶的な技術を備えていて、また優れたサーファーでもあった。このアンダーソンがリオの空港に到着したとき、どうしたことか、ブラジルのレスリング公式団体は誰も迎えにきていなかった」
「超人ハルクのような巨大な筋肉質のアメリカ人が空港でサーフボードを片手に突っ立っているのをたまたま見たホーウスの知り合いが、彼に話しかけた。アメリカのレスリング王者が空港で立ち往生していると電話で聞いたホーウスがいとこのカーウソンと空港へ駆けつけたときには、アンダーソンはすでに何時間も待たされていた」
「言い伝えによれば、ホーウスは『ブラジルのレスリング関係者』と名乗って、来るのが遅れたことを詫び、車の屋根に彼のサーフボードを載せて出発した。それから一週間、アンダーソンとホーウスは生活と練習とサーフィンをともにした。サッカーのブラジル対アルゼンチン戦までいっしょに観にいったという」
「ホーウスとのリオの暮らしは別格だったようで、アンダーソンはたえず彼といっしょに活動した。ホーウスに誘拐されたのだと気づいたときには、アメリカ人レスラーはもう帰りたくなくなっていた。もちろん、遊んでばかりいたわけではない。ふたりで激しい練習をし、たがいの技術を比較、解剖した。ホーウスがいつも道衣を着ているのをアンダーソンは不思議に思ったが、楽しすぎて、あれこれ質問はしなかった」
「もっとも感心したのは、ホーウスがどんなポジションからも抜け出せることだった。アンダーソンは後日、異なる格闘技やスポーツの要素を柔術に取り入れたホーウスのことを『ルネッサンスの男』と称した」
byヒクソン・グレイシー