「息子が生まれたのは火曜日で次の三日間はあまり眠れず、柔術の稽古もできなかった。それでも次の日の日曜日、柔術大会の無差別級決勝戦でセルジオ・ペーニャと戦った。大会は二週続けて週末に行われ、前週すでに私は彼に勝っていた」
「当初、私はミドル級で戦う予定だったが、ペーニャがヘビー級にエントリーしているとわかったところで、大会主催者に『この大会を真のパーティーにしよう。私をヘビー級で出場させてくれ』と持ちかけたのだ」
「一週目の日曜にヘビー級で対戦し、アームロックでタップを奪った。ペーニャがこれほど早く仕留められたのは何年ぶりかで、二週目の日曜日に無差別級の決勝で当たったとき、彼はリベンジに燃えていた」
「試合がはじまり組み合ったとき、私は脱力感に見舞われていて、それがいっこうに回復しない。戦うふりをしながら、じつはただ一度のチャンスのためにエネルギーを蓄えていた。グラウンドに移行し、セルジオが私のガードをパスしたときは大騒ぎになった」
「ポイントでたちまち七、八点の差がついた。死んだふりをし、相手に自信を持たせた。柔術史上最大の番狂せが起ころうとしているーー会場は騒然となった。不利と目されていた選手が勝つところを見たくなった観客が『信じろ、セルジオ!勇気だ、セルジオ!』と声援を送る」
「試合終了も近づいてきたが、セルジオが15対0でポイントリードしている。私はホーウスに顔を向け、『時間は?』と訊いた。『二分』と返ってきたとき、ここしかないと思った」
「引き込みに出て、セルジオがパスガードしようとしたところでスイープし、マウントを取ってカラーチョークにとらえた。セルジオは勇敢な男で、タップしなかったため残り四十五秒の時点で落ちた」
byヒクソン・グレイシー