「マチャド兄弟は我々より安定した上位中流階級の出だ。父親は裁判官で、リオで育ったわけではない。ホリオンよりはるかに合理的だったし、彼ら自身がすばらしい柔術家であり、指導者でもあった。ジャン・ジャック・マチャドはのちにアメリカ最高クラスの偉大な柔術指導者となった人物で、彼には人の心を鼓舞するところがあった」
「生まれつき左手に親指と小指の一部しかなかったジャン・ジャックは、私が見た誰よりも状況への適応力や即興的な対応力に富んでいた。彼の柔術はじつに個性的で創造的だった。ジャン・ジャックをよく知るようになったのは、十代の彼が私と練習するためリオに通ってくるようになったときだ。練習へのひたむきな姿勢に感服した」
「私の最初のレッスンが朝七時からはじまるとしたら、彼は縁石に腰かけて私が道場を開けるのを待っていた。午前中ずっと私の指導を見て過ごし、自分の練習時間が来るまで静かに観察していた。稽古ではグレイシーの手順にすべて従った。願望と意思の力、運動能力、謙虚さが備わっていた。紫帯のときからジャン・ジャックはマット上で黒帯たちに手を焼かせていた」
「その後、柔術とグラップリングでグレイシー一族最高クラスの選手になった。チャック・ノリスはマチャド兄弟に大きな感銘を受け、自分が所有するビルに彼らの道場をつくってあげた。まずいことに、ホリオンと取引しなくてもグレイシー柔術を学べるという噂がたちまち広まった。マチャド兄弟はレスラーのジーン・ラベールらアメリカの著名な格闘家たちからも大きな支援を受けていた」
「アメリカに来てから兄の権威に逆らい独自の道を歩みはじめた一族は彼らだけではない。一族はアメリカで分裂し派閥をつくりはじめたが、兄にはどうしようもなかった。祖先のスコットランド人と同じように、グレイシーのリーダーたちも睨み合いをはじめていた」
byヒクソン・グレイシー